郊外のとある新興住宅地に、一軒のゴミ屋敷がありました。
近隣からは名前を呼ぶ事さえ憚られているそのゴミ屋敷の主にも
ちゃんと名前が存在し、生きてきた人生がありました。
各種メディアの書評などで話題を呼んだ小説です。
こんなに地味な小説が、何で話題になったのか不思議です。
著/橋本治。
桃尻娘とか窯変源氏物語とか色物ばっかり読んできたので、
著者のオリジナルの真っ当な文学を読んだのは初めてでした。
でも、文学してても、『ああ、やっぱり橋本節だ』と、
懐かしさがこみ上げて来ました。
特に序盤の現代編では、あの頃の文体を未だ色濃く
残してくれていました。2 章以降は変わるので、橋本先生は
自分でコントロールしてやっていたのかも知れません。
第 1 章では、近所の住人の目を通した現在が描かれます。
そこでは屋敷の主本人がどういう人かは判りません。
近所の人が遠巻きに囁くだけで、その中心にいる人物像は
何も見えず、まるでブラックホールです。
地の文でも “件 (くだん) の住人” としか呼称されず、
本人の事は、名前さえもが不明です。
殆どの住人は、拍子抜けするほど呑気でした。
いくら言っても無駄なので、見て見ぬ振り、自分の中で
存在しないものとして処理してしまっているようです。
でも、向かいの吉田夫人の美咲だけは、
どうしてもその境地に達する事ができませんでした。
本気で件の住人を憎み、常にイライラし、精神的に参っています。
第 2 章では、一転して、件の住人こと下山忠一の過去が
丁寧に描かれます。戦後の何もない田舎町が新興住宅地として
開けていき、サラリーマンというものが一般化し、
団地というものが登場し、昭和が急激に変革していく真っ只中で、
戦時中に教育を受けた忠一は、青春時代を過ごします。
漠然と “将来は軍人になるのだろう” と思っていた忠一は、
完全に戦後教育を受けた弟ほど明るい時代を謳歌できずにいます。
“いいのかな?” とはにかみながら、怖々と新しい時代に
一歩足を踏み出しているという感じです。この年齢設定と、
忠一と弟との対比は良くできていると思いました。
忠一がああなってしまった、所以がそこにありました。
忠一の奥さんと母親は少し反りが合わなかっただけで、
誰かに積極的に悪意を持っていた人間は誰もいませんでした。
忠一は真面目で勤勉で、特に頑固でも偏屈でもありませんでした。
でも、ちょっとずつズレが重なって、現代に至ります。
それは不幸と言っても不運と言っても差し支えのない人生です。
どういう人生を送ってこようが、私はゴミを集めて
周りに迷惑を掛ける人間は絶対に許せません。
何はなくとも G が増えます。私は G が大嫌いなのです。
ただ、忠一は、ささやかな幸せさえも運悪く逃してしまった。
過去の忠一は、何も悪くないのに。その事は、可哀相でした。
第 3 章は、恰も救世主が現れたかのような展開になりました。
停滞していた時間が進み、“未来” を感じさせる章でした。
詳しくは書けませんが、その劇的な変化は感動的ですらあります。
忠一は、最後に巡礼に出ます。それはタイトル通りですが、
現在−過去−未来と時間軸を転換させて進んできたこの本を
読み終えた時、読者は自分が忠一の人生を巡礼してきたと
感じると思います。最後は唐突ですが、しみじみとしました。
近隣からは名前を呼ぶ事さえ憚られているそのゴミ屋敷の主にも
ちゃんと名前が存在し、生きてきた人生がありました。
各種メディアの書評などで話題を呼んだ小説です。
こんなに地味な小説が、何で話題になったのか不思議です。
著/橋本治。
桃尻娘とか窯変源氏物語とか色物ばっかり読んできたので、
著者のオリジナルの真っ当な文学を読んだのは初めてでした。
でも、文学してても、『ああ、やっぱり橋本節だ』と、
懐かしさがこみ上げて来ました。
特に序盤の現代編では、あの頃の文体を未だ色濃く
残してくれていました。2 章以降は変わるので、橋本先生は
自分でコントロールしてやっていたのかも知れません。
第 1 章では、近所の住人の目を通した現在が描かれます。
そこでは屋敷の主本人がどういう人かは判りません。
近所の人が遠巻きに囁くだけで、その中心にいる人物像は
何も見えず、まるでブラックホールです。
地の文でも “件 (くだん) の住人” としか呼称されず、
本人の事は、名前さえもが不明です。
殆どの住人は、拍子抜けするほど呑気でした。
いくら言っても無駄なので、見て見ぬ振り、自分の中で
存在しないものとして処理してしまっているようです。
でも、向かいの吉田夫人の美咲だけは、
どうしてもその境地に達する事ができませんでした。
本気で件の住人を憎み、常にイライラし、精神的に参っています。
第 2 章では、一転して、件の住人こと下山忠一の過去が
丁寧に描かれます。戦後の何もない田舎町が新興住宅地として
開けていき、サラリーマンというものが一般化し、
団地というものが登場し、昭和が急激に変革していく真っ只中で、
戦時中に教育を受けた忠一は、青春時代を過ごします。
漠然と “将来は軍人になるのだろう” と思っていた忠一は、
完全に戦後教育を受けた弟ほど明るい時代を謳歌できずにいます。
“いいのかな?” とはにかみながら、怖々と新しい時代に
一歩足を踏み出しているという感じです。この年齢設定と、
忠一と弟との対比は良くできていると思いました。
忠一がああなってしまった、所以がそこにありました。
忠一の奥さんと母親は少し反りが合わなかっただけで、
誰かに積極的に悪意を持っていた人間は誰もいませんでした。
忠一は真面目で勤勉で、特に頑固でも偏屈でもありませんでした。
でも、ちょっとずつズレが重なって、現代に至ります。
それは不幸と言っても不運と言っても差し支えのない人生です。
どういう人生を送ってこようが、私はゴミを集めて
周りに迷惑を掛ける人間は絶対に許せません。
何はなくとも G が増えます。私は G が大嫌いなのです。
ただ、忠一は、ささやかな幸せさえも運悪く逃してしまった。
過去の忠一は、何も悪くないのに。その事は、可哀相でした。
第 3 章は、恰も救世主が現れたかのような展開になりました。
停滞していた時間が進み、“未来” を感じさせる章でした。
詳しくは書けませんが、その劇的な変化は感動的ですらあります。
忠一は、最後に巡礼に出ます。それはタイトル通りですが、
現在−過去−未来と時間軸を転換させて進んできたこの本を
読み終えた時、読者は自分が忠一の人生を巡礼してきたと
感じると思います。最後は唐突ですが、しみじみとしました。