31 歳のキャロル・クレイは、脱力発作を伴う睡眠障害があり、
15 歳の時から精神科医のコーラーの治療を受けていた。
彼女はコーラーによる催眠の下、15 歳の娘のエレナとその恋人の
ブーマーを射殺したと語った。コーラーは彼女に暗示を掛けた。
“目を覚ました時、あなたは自分が話した事を一切覚えていない”
そして、キャロルの夫のロジャーが、殺人犯として逮捕された。
著/ダニエル キイス、訳/秋津知子。
24 人のビリー・ミリガン、クローディアの告白と
ノンフィクションの執筆が続いた著者が、
’80 年の五番目のサリー以来 18 年振りに執筆した、
長編フィクション小説です。原題は Until Death Do Us Part──
“死が二人を分かつまで”。これがこのまま邦題になっていたら、
作品全体の印象は随分違っていただろうなと思います。
著者は残念ながら今年の 6/15 にお亡くなりになりました。
読んだのは発売された年で、レビューもずっと前に
完成していたのですが、訃報を受けて投稿しないままでいたのを
思い出し、この機会にアップする事にしました。
キャロルは高校生の時から日常生活を送っている時に発作的に
眠りこけてしまうナルコレプシーという病気を持っていました。
演劇のステージや授業中でも突然寝てしまう優しく美しい彼女は、
同級生から “眠り姫”、“ブライアー・ローズ姫” と呼ばれ、
守ってあげなければと思わせる、男の子達の憧れの的でした。
その中で特にキャロルに夢中になっていた 4 人は、
自分達を “ブライアー・ローズ姫の守護騎士” と呼び、
彼女を一生守って行こうと固く誓い合いました。
守護騎士の一人は事故死。一人はキャロルの最初の夫でしたが、
落馬して車椅子生活になり間もなく離婚。
現在の夫ロジャー・クレイも守護騎士の一人で、
エレナとブーマーの事件を担当する事になった
ナッシュ検事もまた、守護騎士のメンバーの一人でした。
エレナを妊娠した時、キャロルは自分は処女だと言い張りました。
エレナの父親は不明ですが、残った 3 人の守護騎士達は、
若くして事故死した彼が、エレナの父親だと思っていました。
一方、ブーマーの母親のエリカも同じ高校の一学年上で、
キャロルと同じ演劇部に所属していました。
エリカもその頃から、不眠症でコーラーの治療を受けていました。
守護騎士達が恋をするのはキャロル。セックスをするのはエリカ。
彼女達は、そういう関係でした。
キャロルはどこでも眠ってしまう。エリカは不眠症。
キャロルは信心深く、エリカは無神論者。
外見上のイメージも含め、対極にいるような二人です。
ブーマーの父親が誰なのか、エリカは語ろうとしません。
地元警察のストーン刑事によりロジャーが逮捕されますが、
決め手となったのは、睡眠中のキャロルにコーラーが喋らせた、
“発砲音の後彼が死体を処理するのを目撃した” という証言でした。
ナッシュは守護騎士の一人として、キャロルを裏切り傷付けた
ロジャーを死刑台へ送ると決意します。が、ロジャーもまた、
命を賭けて、キャロルを守ろうとしていたのでした。
眠り姫という邦題になった事で、キャロルが主役で、
睡眠障害がテーマの話のように見えてしまいますが、
実質的な主人公は、精神科医のアイリーン・モーガンです。
キャロルは事件の鍵を握る人物ですが、主に皆に守られる存在で、
寧ろ他のキャラよりも存在感が薄いと言ってもいいくらいでした。
公判中からその兆候はありましたが、刑務所に収監されてから、
ロジャーは本格的に精神に異常を来たします。
これは恐らく拘禁反応 (牢屋に入れられ閉じ込められた事が
原因で起こる精神異常状態) なのだろうだと思います。
アイリーンは検察側の精神科医としてロジャーには
責任能力があると証言し、受刑者の為の精神病院に赴任すると、
今度は死刑囚となったロジャーの治療を担当する事になります。
また夫に呼応するように精神的に不安定になり始めた、
キャロルの治療も引き受けるようになります。
冒頭でキャロルが撃ったと示唆しておきながら、物語は一貫して、
ロジャーが殺人犯であるものとして進められます。
ロジャーの担当弁護士で死刑廃止論者のパウエルさえ、
法律を駆使して刑の執行の引き伸ばしを図りますが、
事実関係は争わず、精神異常での減刑を要求し続けています。
キャロル自身も、自分が語った事の記憶は失っています。
真相は誰も知らないまま、着々と状況は悪くなっていく。
ロジャーは、キャロルはどうなるのかとやきもきします。
知っているのは、神の視点で見ている読者と、
あの夜キャロルを治療し彼女の告白を聞いていた、コーラーだけ。
全てを知りながら口を噤み続ける、コーラーの真意とは?
キャロル達の治療には催眠術が用いられていますが、催眠術を
使った治療の実際が具体的に書かれていて、興味深いです。
トランスレベルという、自分の催眠がどの程度の深さなのかを
数値化した感覚を眠ったまま指で示す事ができたり、催眠によって
痛みを和らげたり、心臓を止める事までできてしまうそうです。
私は催眠術には詳しくなくて、どうも胡散臭いと
思ってしまうのですが (この小説にも偽の記憶とか
前世療法なんていうものが出てくるから尚更です)、
キイスのこの書き方からすると、アメリカでは結構普通に、
催眠術が治療法の一つとして活用されているようです。
物語は睡眠障害ではなく、精神異常者への刑の執行の是非、
ロジャーが精神異常と認められるかという法律上の駆け引き、
治療して精神病が治ると刑が執行されてしまうという
アイリーンの医師としての倫理上のジレンマといった、
刑罰と精神障害を巡る問題が中心となっていきます。
殺人事件が起き、その捜査や裁判や弁護士の活動も描かれますが、
これをミステリーや法廷劇と見ると、物足りないと思うでしょう。
キイスがこれまでの作品で扱ってきたテーマは、
精神或いは心の問題、そしてそれを抱えて生きる人々の愛です。
それは殺人事件を扱ったこの物語でも、変わる事はありません。
被害者、加害者、加害者を支援する者、糾弾しようとする者、
中立でいるべき者。この小説には様々な立場の登場人物がおり、
それぞれが事件を通して知り合い、関係を深めていきます。
彼らは皆、過去に辛い出来事を経験し、苦しみを抱えています。
そして事件によって、各々が抱えているトラウマが、
本人を試すように炙り出されます。
彼らは苦しみを乗り越え、自分が正しいと信じるものに誠実に
立ち向います。真相を知らないが故に対立してしまっていますが、
ロジャーも、ストーンも、アイリーンも、パウエルも、キャロルも
エリカも、誰もが誰かの為に、誰かを守ろうとして行動します。
彼らの中には、悪意を持って人を陥れようとする人物は
誰もいないのです――本当の真犯人、以外は。
やがて明かされた真相は意外で強引で、ラストは衝撃と哀しみと
喜びと、これでいいのか?と疑問を感じさせられるものでした。
この後どうなったのか、キャロルは真相を知ったのか、
面会室でのアレを使ったアレの結果は実を結んだのかなど、
気になる事も色々残されています。かなり長い話の割に、
書き足りない部分が多々あるような気がします。
エリカは完全に被害者の母の立場ですが、
キャロルは被害者の母であり、加害者の妻でもあります。
ところがキャロルのロジャーへの献身は描かれるのですが、
エリカが息子に執着するほどにはキャロルが
娘のエレナを想う描写が無かったのも気になりました。
キイスが書き忘れたのではと思うくらい、
その要素はすっぽりと抜け落ちています。
キャロルが自分が産んだ父親の判らない娘をどう思っていたのか、
愛着がそれほど無かったのか、ロジャーの支援に熱中する事で
娘を亡くした悲しみを抑圧してしまっていたのか。
その点の説明がもっとあっても良かったと思います。
とにかくトラウマ持ちが多くて、欲張り過ぎな印象でした。
肝心のキャロルの心理描写が不充分だと思うし、
キャロルとエリカの子供の父親は誰かなど、折角面白そうな
設定があるのに、そこを余り活用していないのも勿体無いです。
キイスとしてはかなり久し振りのフィクションなので、
勘が鈍ってしまったのでしょうか。キイスにしては
構成が上手くなく、纏まりが無い話だな、と思いました。
15 歳の時から精神科医のコーラーの治療を受けていた。
彼女はコーラーによる催眠の下、15 歳の娘のエレナとその恋人の
ブーマーを射殺したと語った。コーラーは彼女に暗示を掛けた。
“目を覚ました時、あなたは自分が話した事を一切覚えていない”
そして、キャロルの夫のロジャーが、殺人犯として逮捕された。
著/ダニエル キイス、訳/秋津知子。
24 人のビリー・ミリガン、クローディアの告白と
ノンフィクションの執筆が続いた著者が、
’80 年の五番目のサリー以来 18 年振りに執筆した、
長編フィクション小説です。原題は Until Death Do Us Part──
“死が二人を分かつまで”。これがこのまま邦題になっていたら、
作品全体の印象は随分違っていただろうなと思います。
著者は残念ながら今年の 6/15 にお亡くなりになりました。
読んだのは発売された年で、レビューもずっと前に
完成していたのですが、訃報を受けて投稿しないままでいたのを
思い出し、この機会にアップする事にしました。
キャロルは高校生の時から日常生活を送っている時に発作的に
眠りこけてしまうナルコレプシーという病気を持っていました。
演劇のステージや授業中でも突然寝てしまう優しく美しい彼女は、
同級生から “眠り姫”、“ブライアー・ローズ姫” と呼ばれ、
守ってあげなければと思わせる、男の子達の憧れの的でした。
その中で特にキャロルに夢中になっていた 4 人は、
自分達を “ブライアー・ローズ姫の守護騎士” と呼び、
彼女を一生守って行こうと固く誓い合いました。
守護騎士の一人は事故死。一人はキャロルの最初の夫でしたが、
落馬して車椅子生活になり間もなく離婚。
現在の夫ロジャー・クレイも守護騎士の一人で、
エレナとブーマーの事件を担当する事になった
ナッシュ検事もまた、守護騎士のメンバーの一人でした。
エレナを妊娠した時、キャロルは自分は処女だと言い張りました。
エレナの父親は不明ですが、残った 3 人の守護騎士達は、
若くして事故死した彼が、エレナの父親だと思っていました。
一方、ブーマーの母親のエリカも同じ高校の一学年上で、
キャロルと同じ演劇部に所属していました。
エリカもその頃から、不眠症でコーラーの治療を受けていました。
守護騎士達が恋をするのはキャロル。セックスをするのはエリカ。
彼女達は、そういう関係でした。
キャロルはどこでも眠ってしまう。エリカは不眠症。
キャロルは信心深く、エリカは無神論者。
外見上のイメージも含め、対極にいるような二人です。
ブーマーの父親が誰なのか、エリカは語ろうとしません。
地元警察のストーン刑事によりロジャーが逮捕されますが、
決め手となったのは、睡眠中のキャロルにコーラーが喋らせた、
“発砲音の後彼が死体を処理するのを目撃した” という証言でした。
ナッシュは守護騎士の一人として、キャロルを裏切り傷付けた
ロジャーを死刑台へ送ると決意します。が、ロジャーもまた、
命を賭けて、キャロルを守ろうとしていたのでした。
眠り姫という邦題になった事で、キャロルが主役で、
睡眠障害がテーマの話のように見えてしまいますが、
実質的な主人公は、精神科医のアイリーン・モーガンです。
キャロルは事件の鍵を握る人物ですが、主に皆に守られる存在で、
寧ろ他のキャラよりも存在感が薄いと言ってもいいくらいでした。
公判中からその兆候はありましたが、刑務所に収監されてから、
ロジャーは本格的に精神に異常を来たします。
これは恐らく拘禁反応 (牢屋に入れられ閉じ込められた事が
原因で起こる精神異常状態) なのだろうだと思います。
アイリーンは検察側の精神科医としてロジャーには
責任能力があると証言し、受刑者の為の精神病院に赴任すると、
今度は死刑囚となったロジャーの治療を担当する事になります。
また夫に呼応するように精神的に不安定になり始めた、
キャロルの治療も引き受けるようになります。
冒頭でキャロルが撃ったと示唆しておきながら、物語は一貫して、
ロジャーが殺人犯であるものとして進められます。
ロジャーの担当弁護士で死刑廃止論者のパウエルさえ、
法律を駆使して刑の執行の引き伸ばしを図りますが、
事実関係は争わず、精神異常での減刑を要求し続けています。
キャロル自身も、自分が語った事の記憶は失っています。
真相は誰も知らないまま、着々と状況は悪くなっていく。
ロジャーは、キャロルはどうなるのかとやきもきします。
知っているのは、神の視点で見ている読者と、
あの夜キャロルを治療し彼女の告白を聞いていた、コーラーだけ。
全てを知りながら口を噤み続ける、コーラーの真意とは?
キャロル達の治療には催眠術が用いられていますが、催眠術を
使った治療の実際が具体的に書かれていて、興味深いです。
トランスレベルという、自分の催眠がどの程度の深さなのかを
数値化した感覚を眠ったまま指で示す事ができたり、催眠によって
痛みを和らげたり、心臓を止める事までできてしまうそうです。
私は催眠術には詳しくなくて、どうも胡散臭いと
思ってしまうのですが (この小説にも偽の記憶とか
前世療法なんていうものが出てくるから尚更です)、
キイスのこの書き方からすると、アメリカでは結構普通に、
催眠術が治療法の一つとして活用されているようです。
物語は睡眠障害ではなく、精神異常者への刑の執行の是非、
ロジャーが精神異常と認められるかという法律上の駆け引き、
治療して精神病が治ると刑が執行されてしまうという
アイリーンの医師としての倫理上のジレンマといった、
刑罰と精神障害を巡る問題が中心となっていきます。
殺人事件が起き、その捜査や裁判や弁護士の活動も描かれますが、
これをミステリーや法廷劇と見ると、物足りないと思うでしょう。
キイスがこれまでの作品で扱ってきたテーマは、
精神或いは心の問題、そしてそれを抱えて生きる人々の愛です。
それは殺人事件を扱ったこの物語でも、変わる事はありません。
被害者、加害者、加害者を支援する者、糾弾しようとする者、
中立でいるべき者。この小説には様々な立場の登場人物がおり、
それぞれが事件を通して知り合い、関係を深めていきます。
彼らは皆、過去に辛い出来事を経験し、苦しみを抱えています。
そして事件によって、各々が抱えているトラウマが、
本人を試すように炙り出されます。
彼らは苦しみを乗り越え、自分が正しいと信じるものに誠実に
立ち向います。真相を知らないが故に対立してしまっていますが、
ロジャーも、ストーンも、アイリーンも、パウエルも、キャロルも
エリカも、誰もが誰かの為に、誰かを守ろうとして行動します。
彼らの中には、悪意を持って人を陥れようとする人物は
誰もいないのです――本当の真犯人、以外は。
やがて明かされた真相は意外で強引で、ラストは衝撃と哀しみと
喜びと、これでいいのか?と疑問を感じさせられるものでした。
この後どうなったのか、キャロルは真相を知ったのか、
面会室でのアレを使ったアレの結果は実を結んだのかなど、
気になる事も色々残されています。かなり長い話の割に、
書き足りない部分が多々あるような気がします。
エリカは完全に被害者の母の立場ですが、
キャロルは被害者の母であり、加害者の妻でもあります。
ところがキャロルのロジャーへの献身は描かれるのですが、
エリカが息子に執着するほどにはキャロルが
娘のエレナを想う描写が無かったのも気になりました。
キイスが書き忘れたのではと思うくらい、
その要素はすっぽりと抜け落ちています。
キャロルが自分が産んだ父親の判らない娘をどう思っていたのか、
愛着がそれほど無かったのか、ロジャーの支援に熱中する事で
娘を亡くした悲しみを抑圧してしまっていたのか。
その点の説明がもっとあっても良かったと思います。
とにかくトラウマ持ちが多くて、欲張り過ぎな印象でした。
肝心のキャロルの心理描写が不充分だと思うし、
キャロルとエリカの子供の父親は誰かなど、折角面白そうな
設定があるのに、そこを余り活用していないのも勿体無いです。
キイスとしてはかなり久し振りのフィクションなので、
勘が鈍ってしまったのでしょうか。キイスにしては
構成が上手くなく、纏まりが無い話だな、と思いました。