Message to Complex People── コンプレックスを抱えた
人々を描くオムニバスの第 4 章であり、最終章です。
タイトルはほんとうの行方。人間の本当の強さとは何かを
語りかける、社会問題を扱ったヒューマンドラマです。
週刊ヤングジャンプ’96 年 41 号〜52 号に連載されていました。
作/きたがわ翔。

野球は大好きだけど勉強はからきしダメな 10 歳の仲原遊多は、
大らかで男らしくて、いつも自分の味方をしてくれる
お父さんが大好きでした。家庭は慎ましくも温かで、幸せでした。
しかし両親が突然の事故で亡くなってから、
一人残された遊多は、何もかもを失ってしまいました。

遊多は父の兄夫婦の家に引き取られますが、
それは遊多の父が運送会社を興してこつこつと貯めてきた財産を
自由に使いたかったからでした。遊多は伯父夫婦の家で、
伯父夫婦の実の息子と差別されて育ちます。

数年後、伯父の一家は遊多の父の金で家を買い、
遊多も一緒に関西から東京へ引っ越す事になりました。
中学 2 年生になった遊多は野球もやめてしまい、
暗く、鋭い陰が差す瞳をした、大人びた少年になっていました。
転入したクラスで、遊多は保坂智美に出会います。

転校初日から、遊多に彼女をいじめろという指令の手紙が
回ってきました。遊多はクラスメートから、智美の父親が
性犯罪で服役中である事や、ヤンキー風の外見の谷口修二
中心となって智美をいじめている事を知らされました。
遊多は “下らない” と、いじめの指令を拒否しました。

遊多は谷口に目を付けられますが、自暴自棄な遊多には
谷口の暴力も脅しの言葉も全く怖くありませんでした。
智美は母親もおらず、アパートで貧乏な一人暮らしです。
家にいても学校でも孤独。遊多はそんな彼女に共感を覚えます。

少しして、遊多はいつも公園のベンチにいる、
父親に似た雰囲気のおっちゃんと出会い、お喋りしたり、
心の支えとなるような言葉を掛けて貰えるようになりました。
智美とおっちゃん。二人の仲間を得て、冷たかった
遊多の心には、少しずつ温かいものが戻ってきました。

遊多はおっちゃんから、谷口も小学生時代に野球をやっていた事、
父親がヤクザだと知られ周りに敬遠されるようになってから
変わってしまったという事を聞かされました。
ふとしたきっかけで野球部にスカウトされた遊多は、
入部に際し、自分からある条件を申し出ました──。

これは、恋愛よりも友情を強調した、社会派の作品です。
出てくる主要な登場人物は、皆何らかの心の傷を抱えています。
いじめ、虐待、援助交際、性犯罪など、
中学生を取り巻く様々な問題が描かれていますが、
良くある社会問題の羅列や露悪的な話ではなく、
作品に流れる雰囲気は、一貫して静かで、優しさに溢れています。

智美はいじめられていますが、それに抵抗せずに黙って受け止め、
遊多の前では笑顔でいます。後に彼女が抵抗しない哀しい理由が
明らかにされますが、自傷に近いその心理は凄く良く分かります。

遊多と彼女との関係は、何も言わなくても相手が心の痛みと孤独を
抱えていると知り、傷を持つ同士、優しく労わり合う関係です。
そんな二人が惹かれ合うのはごく自然な事でしょう。

援助交際をしている岡部加奈恵が遊多の心の深さに触れ、
遊多に協力しようとするところは、いいシーンです。
そこからの野球部の部員の皆の優しさ、
谷口との和解も感動的で、ジーンと涙が滲んできました。

全てが良い方向に回り始めた時、それを反転させる存在が
現れます。
そして遊多を支えてくれたおっちゃんの正体も判ります。

おっちゃんが泣くシーンは作者が一番力を入れて描いた、
という事ですが、おっちゃんがしてしまった事に対しては、
この始末の付け方でいいのかと疑問が残りました。

「人は誰でも心の中に “あたたかいもの” を持っていなければ
生きていけない――」
おっちゃんは、遊多に繰り返しそう説いていました。
おっちゃんは自分自身それを失ってしまっていたからこそ、
その事を誰よりも、身に沁みて判っていたのでしょう。

次の長期連載の前にやりたい事を全部やっておいたという
作者の言葉通り、C は章ごとに、作品のカラーから
絵柄までがらりと変わっています。ほんとうの行方
細部のエピソードまで全部考えてから描いたそうで、
それだけに、非常に良く練られていて纏まった作品だと思います。

私は第 3 章のモンロージョークだけは受け付けなかったのですが、
これだけのバリエーションの物語を描けるというところにも、
絵が上手いだけじゃない、きたがわ先生の才能を感じました。
これを描いていた時でさえまだ 29 歳という事にも驚かされます。
これはドラマ化も可能な作品だと思います。